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2003年02月25日

晃太くんのこと

先月末に急性リンパ性白血病と闘っている晃太くんが骨髄ドナーを探していること紹介しましたが、完全一致のドナーさんは見つからず、2座不一致の臍帯血移植に踏み切ることになったそうです。

移植は来月19日の予定とのこと。何とか経過のよいことをお祈りいたします。(父)

「晃太君の小さな命を救いたい事務局」
http://www008.upp.so-net.ne.jp/nakayoshi/kota/index.html

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2003年02月23日

たしざん?

夏ちゃんはだいぶ数を数えられるようになっている。お風呂で温まる時にも「20まで数えようか」と言うと、一緒に「いーち、にーい、さーん、、、」と20まで数えることができます。

この頃は、足し算に興味が出てきたようで、「にと、にで、いくつ?って言って」と問題を出すことを催促します。晩ご飯のときもいろいろ「いくつ?って言って」ときたので、お母さんとお兄ちゃんが問題を出しました。

「いかの足は何本?5と5だよ。」
夏ちゃんはまず右手で「いーち、にーい、さーん、しーい、ごー」と数えて、次に左手で「ごーお、ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅう」と数えて「10!」「ピンポーン!」

「じゃぁ、ありさんの足は何本?3と3だよ。」
同じように右手で3、左手で6まで数えて「6!」「正解!」
「クモの足は何本?4と4だよ。」
これも右手と左手で四つずつ数えて「8!」「あたりー」
夏ちゃんは、ご満悦のご様子。

でもお兄ちゃんが「ムカデは?」「げじげじは?」と難しいのを出してきた。それは大人でも分かんないよなぁ。「じゃぁ、ヘビは?」とお兄ちゃんが聞くと、夏ちゃんは「ヘビはにょろにょろだよ」と切り返した。あはは、その通り。

友紀には10まで数えるのは教えたけど、足し算まではいかなかった。夏ちゃんがお姉ちゃんの歳より大きくなったことを実感させられます。これからも頑張ってね。お兄ちゃんに追いつけ。(父)

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2003年02月22日

ゆきちゃんはどこ?

夏ちゃんがこの前お供えしていたピンキーを見て、今日も言っていました。「ゆきちゃん、かえってきたら、いっしょにたべるもんねー」「まだかえってこないねー」

夏ちゃんは、「もっとたくさんにすればよかった」と続けます。「ゆきちゃんと、おにいちゃんと、おとうさんと、おかあさんと、おばあちゃんと、おばあちゃんと、みんなでたべる」と言っています。

「ゆきちゃんのおとうさんは、なっちゃんのおとうさん?」「ゆきちゃんのおうちはどこ?」「ゆきちゃんはどこにいるの?」としばらく聞いていました。これまでも何度か同じことを聞いていた夏ちゃんです。その度に「夏ちゃんのお姉ちゃんだよ。おうちはここだよ。」と伝えています。

姉妹であるとか、家族であるとかいうことって一緒に暮らした時間が短いとちょっと難しいかもしれないですね。夏ちゃんはまだ赤ちゃんだったしね。でも、お姉ちゃんは夏ちゃんのこととっても大切にしていたよ。そのことをまたいつか伝えていくね。(父)

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2003年02月20日

会社を休んだ

朝から体調が悪く、やる気が出ない。
今の仕事の締め切りは今月末なので、何としても今週中に形を整えておかねばならないのだが、やる気が出ない。

結局、頭痛もしていたので、水曜日は会社を休んでしまった。頭痛薬を飲んでベットに横になり、思い出すのは友紀野のこと。家族のこと。働かねばならないのだが、やる気が沸いてこないという状況で苦しい。抗うつ剤の量を先日の診察で減らしたんだけど、そのせいかもしれなくて、やる気が出なくて困っています。昔のようなハツラツとした仕事がしたいのですが、中途半端に歳をとってしまいました。

とりあえず、明日は朝早く行って、ワープロに向かうことにしようと思っています。お給料もらうためですからね、頑張らなきゃ。。。(父)

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2003年02月18日

ゆきちゃんとたべる

友紀はピンキーというお菓子が好きでした。オレンジやピーチなどいろいろな味があります。

命日に帰ったときピンキーがドキンちゃんのお皿にラップでくるんでお供えしてありました。いつもならケースごとなのですが、お皿に出してあったので、食べやすいようにしたのかな、と思っていたら、夏ちゃんがそうしたのだとお母さんから聞きました。

夏ちゃんもピンキーが好きでよく食べています。前の日にも食べていたそうなんですが、夏ちゃんの手にちょっと多めに出してあげると夏ちゃんが「あした、ゆきちゃんとたべる」と言ったのでお皿にのせたそうです。

以前にも夏ちゃんは玄関先で「ゆきちゃんも、おうちにはいればいいのにね」というようなことを言ったことがあったとお母さんから聞いています。どうやら夏ちゃんの中では友紀はどこかに出かけていていつか帰ってくると思っているようです。胸がきゅんとなりました。

友紀が旅立って最初のクリスマスのときサンタさんへのお願いをお兄ちゃんに聞いたら、「友紀ちゃんを生き返らせてもらう」と言っていました。これにも胸がきゅんとなりました。兄妹それぞれの思い方があります。(父)

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2003年02月16日

お姉ちゃん気分

友紀は寝るときにお母さんの耳を触るのがお気に入りで、触っていると安心するようでした。病院でも(ベットが小さいので)上半身だけ私たちが添い寝をすると耳を触っていました。外泊するとお母さんを間にはさんで左右に友紀と夏が寝てお母さんの取り合いをしてました。

そんな友紀ですが夏のお姉ちゃんだなぁと思うことがよくありました。友紀がいる頃はまだ夏は赤ちゃんだったからあんまり覚えてないかもしれないけれど、友紀は夏ちゃんのことを大切に思っていてくれました。夏ちゃんが風邪を引いたりしていると友紀は病院にいるときも、「なつはー?」「ほいくえん?」「おねつ、でちゃったー」ととっても気にしていたものです。

先週の三回忌で甥っ子姪っ子が来てくれていたとき、夏ちゃんが一つ下のまーちゃんと遊んでる姿を見て微笑ましかったです。おもちゃを渡してあげたりなんかして、いつもは甘えん坊の夏ちゃんがお姉ちゃん気分でいるようでした。友紀がいてくれたらこんな感じなのかなと思いました。女の子同士でおままごととかして遊ぶ姿を見たくなりました。(父)

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2003年02月14日

バレンタイン

バレンタインです。お兄ちゃんによると「義理チョコと友チョコと愛チョコがあるんだよ」だそうです。で、お兄ちゃんの今年のチョコの数はいくつか?本人の名誉のために内緒にしておきましょう。(夜、同じクラスの女の子がわざわざ訪ねてきたことは内緒です)

友紀はどうしただろう。どっちかというと本命にしかあげないタイプかな。「せめて恋をする歳まで、結婚も経験させたかった、母親になるまで」という言葉が以前紹介した“風の中のめんどりたち”に出てくる。気持ちが分かって胸がきゅっとなる。

友紀はどんな恋をしただろうか。何だか不思議なんだけど、あの娘はある日突然「私、留学するから」とか、「私、この人と結婚するから」と言ってさっと親元から出て行くような感じがしていた。移植の前処置の影響で不妊になると聞かされていたけれど、友紀には是非よいパートナーにめぐり合って欲しかった。結婚式で泣くのが私の夢だったんです。。。

友紀ちゃん、お空の上で出会いがあったらお父さんお母さんに教えてね。祝福するよ。(父)

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2003年02月13日

旅立ちの日

友紀野の旅立ちの日です。仕事を1時間早退してあの日あの時の時間に間に合うように自宅へ帰りました。

家に帰るとお部屋の中がお花の香りで一杯でした。会社の友達や看護婦さん、闘病したお友達からお花が届いていました。どのお花もかわいい。みなさんのお気持ちが嬉しい。

友紀野が産まれた産院で同じ頃赤ちゃんを産んだお母さんたちの仲間が絵本とお菓子を届けてくれていました。みんな元気に幼稚園に通っていることでしょう。変わらずお友達でいてくれることが嬉しい。

看護婦さんからはお手紙も添えられていました。蒼ちゃんと夏ちゃんにも。それにおもちゃのプレゼントも。闘病のころの思い出と今の私たちへの気遣いが書かれた手紙。とても嬉しい。

ネットで知り合った方々からもメールやカード、掲示板のメッセージを頂いた。心温まるメッセージがたくさん。直接お会いしたことはないけれどとても身近に感じています。辛い治療に耐え健気に頑張った子供たち。なのに私たちの手からすり抜けていってしまった。それを思うとかける言葉が見つかりません。だからこうしてメッセージを頂くことに本当に感謝しています。カードなどはプリントしてお仏壇に供えました。

お線香とお花の香りが混じりあうとあの日のことがよみがえります。友紀はとても穏やかな表情でした。顔色もよくて眠っているかのようでした。主治医の先生がお通夜に来てくださって、何度も「ゆきちゃん、ゆきちゃん」と声をかけてくださった。「今にも起き上がりそうでしたね。できればこのまま、このいいお顔のまま時間が止まってくれれば」と後日メールを頂きました。

一人淋しく泣いていないだろうか、お腹は痛くないだろうか、息は苦しくないだろうか、とてもとても心配で胸が締め付けられました。その後、他にもお空に昇った子供たちのことを知って、天国にはお友達がたくさんいると分かりました。きっとあの娘のことだからお友達と仲良く暮らしているに違いない。そう信じています。

お気持ちを頂いた皆様、本当にありがとうございます。心より感謝いたしております。(父)

頂いたお花やプレゼントに囲まれて、旅立ちの時間に。

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2003年02月11日

モンちゃ

三回忌に来ていてくれた妹と子供たちは今日名古屋へ帰っていきました。母と高知のお義母さんは明日までいてくれます。にぎやかだったのが急に静かになってしまいますね。

夏ちゃんが「やんちゃるモンちゃ」のビデオを見つけて観ています。友紀が入院していた頃NHKでやっていてよく観ていたビデオです。夏ちゃんはとても気に入ったようで、「もんちゃみたいー」「またみたいー」と何度も観ています。友紀も好きでした。同じくらいの歳の子に受けるのですね。

病院に持って行っていたビデオなのでケースには“ゆきの”と名前が書いてあります。他にも「トムとジェリー」や「ポケモン」や「アンパンマン」のビデオにも名前が書いてあります。絵本もそうですが、それを観ていた友紀野の姿が思い出されます。大切な思い出です。

嬉しいことがありました。同じ病棟で闘病していて今は元気にしているふーちゃんのご両親から友紀野にお花が届きました。「いつも思っています」とメッセージが添えられたとてもかわいいお花です。忘れないでいてくださることがとても嬉しい。心に沁みます。さっそく友紀のところに飾りました。写真が喜んでいるようです。(父)

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2003年02月09日

三回忌の法要

旅立ちの日は13日ですが、お休みの今日三回忌の法要をしました。いつもお願いしているお寺さんに来てもらってお経を上げていただきました。全く不勉強でお経の意味はわからないんですけれど、太く張りのある声が響き渡り心にしみます。

お経が終わって、ご住職がおっしゃいました。「生きたくても生きることのできなかった方がおられます。私たちが生きていることは当たり前ではないのです。故人の分も如何に生きるかということを考えてまいりましょう。」「お母さん、お元気そうでなによりです。」「お父さん、何かあればいつでもご相談ください。」と。お話を素直に聞きました。お経のおかげかもしれませんね。

お昼を食べた後、とてもよい天気でしたので、隣の公園に皆でお散歩に出かけました。友紀もよく散歩に出かけた公園です。夏ちゃんとまーちゃんがお砂場で遊びました。滑り台も。友紀が遊んだ公園です。子供たちの姿を写真に撮りました。ファインダーを覗くとき「あ、このアングルで友紀の写真も撮ったなぁ」と思い出されました。

天気のよい一日でした。友紀も穏やかに過ごしてくれていることでしょう。(父)

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2003年02月08日

しゃぶしゃぶとパジャマ

明日三回忌の法要をするので、高知のお義母さん、名古屋の母と妹、妹の子供たち(ももちゃん、りくちゃん、まーちゃん)が来てくれた。

子供が5人も集まるととても賑やかです。おもちゃの取り合いもあったりもしますけど、楽しそうに遊んでいるのを見ると嬉しくなります。

みんなが集まってくれたので、今夜はしゃぶしゃぶをしました。ご馳走です。わいわい鍋を囲んで旨かったです。途中、蒼ちゃんが、「こんな美味しいものをどうして友紀ちゃんにもあげないの?」と言ってくれて、ごめんごめんうっかりしてた、とお母さんがお鍋からよそってお供えしました。お兄ちゃん偉いぞ!

満腹になってお風呂です。あがって出てくると、先に出ていたまーちゃんが懐かしいパジャマを着ていました。そうです、友紀ちゃんが着ていたパジャマです。まーちゃんは今2歳。友紀ちゃんのお下がりがちょうどピッタリ。もともとは、ももちゃんが着ていたパジャマで、みんなで順番にお下がりを着ています。

友紀が着ていたパジャマを見て、ちょっと胸がキュンとなりました。(父)

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2003年02月07日

ゆきの母、ハリーを読む

明け方の3時に目が覚めてしまった。
眠れないので、読みかけのハリー・ポッターを読んだ。
私のハリーの読書は「音読」。つまりお兄ちゃんに、難しい言葉を解説しつつ読んであげているのだが、これはかなり時間が掛かる。一日一章のペース。だからまだ第3巻、『アズカバンの囚人』の半分くらいまで読んだところだった。
しかしこれが面白い。どうにも我慢ならず、一気に読破。
うーん、面白い!
ハリーのシリーズは緻密に伏線が張られているところに1巻から驚嘆していたが、これがますます凄くなっている。登場人物も深みを増し、ハリーも着実に成長している。もう物語から抜け出して、一人歩きをしている感がある。
この調子ではどうなってしまうんだ、『炎のゴブレット』!!
あ~、世間に取り残されている私~!早く読みたいよ~。
でも高いしなあ。しかも2冊組。
お兄ちゃんより一足先に、図書館で借りて読んじゃおうかな・・・。

ハリーのシリーズは、肉親への愛情が話の中で要となっている。1巻の”みぞの鏡”のエピソードも泣けた。
今回も泣いてしまった。
ダンブルドア校長先生の台詞の一つ。
「愛する人が死んだとき、
 その人が永久に我々のそばを離れると、そう思うかね?・・・」
(母)

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2003年02月03日

節分

節分の豆まきをしました。お母さんが“おじゃる丸”の豆を用意していてくれたので、それに付録していた子オニトリオのお面を作って私がかぶりました。

蒼ちゃんは思いっきり豆を投げてきてちょっと痛かったぞ。夏ちゃんは豆まきという行為がまだよく分かんないみたいで戸惑っておりました。

リビングの窓からと友紀ちゃんのお仏壇のある和室の窓からと撒きました。「鬼はーそと、福はーうち」とやるのですが、地方によっては掛け声も違うとか。また年によって投げる方角も本当は決まっているようです。

それにしても、主の私がオニの面をかぶって豆をぶつけられるのは正しいのか?という疑問も多少わいてきましたが、ま、季節の行事が穏やかに迎えられて喜ぶべきですね。(父)

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2003年02月02日

旅立ちの章

ずっと書けないでいた「再発~旅立ち」の章を書きました。再発後のことは看病に必死だったのであまり記録に残していなかったので、お母さんの手帳のメモや頂いた検査結果などを見て思い出しながら書きました。

心はあの日のまま止まってしまったかのように思っていましたが、いざ書こうと思うと記憶が薄らいでいることが判ります。一層寂しく感じました。でももうすぐ三回忌ですから、それまでに間に合わせようと思い一生懸命書きました。まだまだ書き足りない感じがしていますが、また思い出したら加筆していきたいと思っています。(父)

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2003年02月01日

晃太くんのこと

先日、骨髄ドナーを探している晃太くんのことを紹介しましたが、まだ完全一致のドナーさんは見つかっていないそうです。

病状の進行からして早い段階での移植が望ましいということで、2座不一致の臍帯血移植の準備を始めたそうです。ぎりぎりまで骨髄を待つとのことですが、3月末くらいが限界だろうとのこと。

2座不一致となるとGVHDなどの副作用が心配されます。なんとかうまくいくことを祈ります。(父)

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