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2008年10月13日
巡礼(最終日)
巡礼3日目、最終日は、朝7:30に出発し、高速連絡船で江田島へ。旧海軍兵学校の見学です。
最終日もとてもよい天気で、見学を案内してくださった方も雲ひとつない天気に感嘆しておられるほど。この引率の方は、現役時代は潜水艦乗組員だったそうで、今はもうすぐ定年を控えて見学案内などのボランティアをやっておられるそうですが、立派な体格、張りのある浪々とした声、誇りと自信に満ちた態度が好印象でした。
現在の教育や日本の軟弱な状態を憂えておられるお話が、ヨゼフ会の先生が普段仰っておられることとそっくりで、示し合わせてるんじゃないか?と一瞬疑ってしまうほどで、聞いてる我々も思わず苦笑いというシーンも多々ありました。
グラウンド側から、歴史ある幹部候補生学校の建屋、その背景には古鷹山が見えるベストアングルで写真を撮らせてもらえました。
教育参考館の見学がメインです。佐久間艇長の残した事故記録と遺書が非常に印象的です。また、司馬遼太郎の『坂の上の雲』に出てくる人物(秋山真之など)の記録も多数展示されており、歴史を学ぶためにはきちんとこうした資料にあたることが大切だなと感じた次第です。
兵学校の見学の後は、今でも訓練に用いるという、古鷹山(380mくらい)に登りました。片道普通は40分くらいのところ、ヨゼフペースですからいつもの暴走登山で、一時間で往復しちゃいました。登山用の靴でないので滑るし踏ん張りが効かないしで大変でしたが、何とかついていけた感じです。
山頂付近から兵学校を見た眺望の写真です。
山頂には、『五省』の碑もあり、登りきってへとへとになってるところで、おっと思わされました。
天気もよく、気持ちいい汗をかいて楽しめたのですが、ちょっとこの登山オプションが翌日に響きました。
この後は、ヤマトミュージアムを見学してから、呉カトリック教会へ。
何だか3日目はミリタリーな雰囲気でしたが、それも先生の思いがあってのアレンジ。そして、最後はやはり教会でお祈りをして締めくくりました。
帰路は、呉からJRで広島へ移動し、広島からは新幹線で新横浜まで。新幹線は三連休ということもあってか、満席で、指定が取れなくて、自由席で立つ羽目に。幸運にも岡山で座れたのでよかったです。
充実した3日間でした。自分なりに思うところが多々あるのですが、なかなか消化不良でまとめられてないというのが現状です。感想文を提出する宿題があるので、もう少し整理してみたいと思っています。
投稿者 ゆきの父 : 23:33 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年10月12日
巡礼(2日目)
2日目は、旅館を朝8:00出発し、萩のキリシタン殉教地、記念公園へ。
冬の萩は、雪が降るそうで、殉教のエピソードも多々、雪の中にうずもれて亡くなって行った女性の話や、こどもをお菓子で誘惑して“転ぶ”よう仕向けたり、そうされても「天国の方がもっと美味しいものがある」と言ってやはり殉教したこども達の話など、朝からとても重たい気持ちになりました。
この記念公園には、殉教者の墓碑もたくさんあるのですが、先生の説明では、墓碑に使われている石は拷問に使った石らしいとのことで、直視するのが躊躇われるほどの歴史の重さを感じます。さすがに写真を撮れませんでした。この後は、萩カトリック教会へ移動しお祈り。短い間でしたが少し気持ちが落ち着きました。
そして、ここからはまた日本の歴史文化に触れるコースへ。
まず、松下村塾の見学と、松蔭神社へお参り。そして、吉田松陰歴史館を見学。ヨゼフ会の先生ご自身も、殉教地に行ったり、教会で祈ったりして、その足ですぐ神社にくるというのも変わった巡礼になった、と自画自賛?でした。
松下村塾で学んだ人物を改めて見ると、歴史上の重要な方々であることに驚きます。自分が日本史・近代史をマジメに勉強してなかったのがバレバレです。3月に伊豆下田に行ったときに、吉田松陰が密航しようとして捕まった展示がありましたが、頭の中で具体的に繋がった感じです。
印象的だったのは、「書物は乱読読み捨てるのでなく、肝心なところ、要点を書き取りながら読むものだ」というような意味合いの言葉があって、なるほどなぁと思った次第です。
この次は、武家屋敷近辺を散策し、高杉晋作と木戸孝允の旧宅を見学しました。時間があれば、他の重要文化財もゆっくり見たかったですね。萩の町は、戦災にあっておらず、昔の建屋が残っている幸運に恵まれているのですね。それにしても、長州が輩出した歴史人物の多さには感心しきりです。
バスの中でお弁当を頂きながら、次に向かったのは秋芳洞です。自分が幼稚園か小学校入ったばかりの頃、一度来たことがあるのですが、もうかれこれ30云年前です。さすがにボンヤリとした記憶しかなく、逆に楽しみにしてました。大人になってから見ても物理的なスケールの大きさも、時間的スケールの長さも圧倒されます。
ヨゼフ会の先生曰く、生徒達の巡礼で、広島で原爆について学んだ後、ここへ連れてくると、「愚かな人間は一瞬で破壊しつくすが、自然は何万年もかけてこんな美しいものを創りあげる」と感想を漏らすとのこと。こども達の感性を大切にしたいものです。
秋芳洞を抜けた後は、秋吉台の展望台で、眺望を楽しみました。
2日目も天気に恵まれて、すばらしい眺望です。朝の重い気分がここで晴れた気がしました。
そして、初日にも訪れた山口教会に向かい、そこでヨゼフ会のためのミサを執り行って頂きました。ミサはカンザス神父様という方で、ヨゼフ会の先生に洗礼を与えた神父様とのこと。元は四ツ谷の教会におられたそうで、NHK大河ドラマ『黄金の日々』でルイス・フロイス役を演じておられたこともあるそうです。
今回の巡礼は20名ほどの父親たちが参加しておりましたが、いわゆる信者は2名。ほとんどが始めての経験ですから、カンザス神父様は素人の私たちに配慮して、形式にこだわらず、わかりやすいミサをやっていただきました。お話の中身は、中学・高校の頃のこども達の可能性と父親の役割について。とても温かい気持ちになるお話でした。
ミサの後は、カンザス神父様がずっと活動なさっておられる、カンボジアなどへの支援活動について。特に地雷の除去活動や学校建設や教育者育成の支援など、熱く語っておられる姿が印象的で、とても82歳とは思えないエネルギー。自分も日々の仕事に忙しいなどとへばってる場合じゃないなぁと思わされました。
2日目はここまでで、この後、広島・呉へバス移動し、ホテルへ宿泊しました。
投稿者 ゆきの父 : 23:44 | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年10月11日
巡礼(初日)
お兄ちゃんの学校の聖書研究会(ヨゼフ会)の巡礼に参加しました。昨年は国外でしたが、今年は津和野、萩、山口、呉ということで、何とか旅費も工面できそうなので巡礼初参加です。
早朝、4時頃起きて、羽田から山口宇部へ。空港からは貸切バスでの移動です。
バスの中でヨゼフ会の先生から巡礼に対する心構え、けじめについてお話を受けて、まずは、山口サビエル記念聖堂へ。
この教会は漏電で焼失していて、建てかえられた教会だそう。資料館には昔の建物の資料もあって、伝統を感じます。また、宣教師サビエルの直筆の手紙も保存されていたり、伝来から布教、ご禁制時代の様子など、さまざまな展示がありました。
次に津和野まで移動し、津和野カトリック教会を訪問しました。
こちらの教会は木造で、畳敷き!です。古来、日本のカトリック教会はこのスタイルだったそうで、こじんまりとしてかわいい感じで、どこかホッとした気持ちになる祈りの場です。
教会でお祈りをした後は、津和野の町を歩きながら、殉教の地、乙女峠へ向かいました。途中、津和野駅を横切ったときの写真です。
乙女峠まで上がり、マリア聖堂で殉教のお話を聞きました。
ヨゼフ会の課題図書、遠藤周作『女の一生 -キクの場合-』を読んでいたので、説明書きや敷地に造ってある三尺牢、責め苦を行った池など、とても生々しく感じられ、精神的に重くのしかかってくるようで辛い感じでした。
乙女峠からは、山歩きで千人塚まで。この道々には、イエス様が十字架に貼り付けになるまでの様子を描いたレリーフが15枚あり、これを拝見しながら沈黙しつつ歩くという巡礼です。千人塚には、殉教者の碑があり、復活のイエス様の像があります。一見、日本瓦の門と石碑で、日本風な墓地を思わせます。
この後は、津和野に縁のある人物に触れるコースへ。
まず最初は、安野光雅の美術館へ。津和野出身の画家、装填家です。立派な美術館で、本の装丁、演劇ポスターなどの原画、ヨーロッパの写生など、色彩を楽しめます。別館が昔ながらの小学校を復元した作りになっていて、しばらく教室の机に佇んでしまいました。
次に、森鴎外記念館へ。ここで森鴎外の足跡を辿る資料を拝見し、旧家も見学できました。実は、森鴎外が津和野出身というのことを今回初めて知りました。
そして、森鴎外旧家のすぐ川向にある、西周の旧居を見学。西周が食事する時間も惜しんで勉強したという蔵の中の勉強部屋が残っています。
初日はここまで。この後は、萩へバス移動し旅館で一泊です。巡礼は通常、修道院や研修所に泊まるとのことですが、今回は特別のようです。
投稿者 ゆきの父 : 22:40 | コメント (0) | トラックバック (0)