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2007年07月22日
担任の先生
夏ちゃんが、「ずーっと今の先生がいいなぁ」とぽつりと言います。4月から受け持ちになった先生は夏ちゃんが通っている小学校で人気の先生なんだよと、お母さんからも聞いていました。つい先日、三者面談があって、先生から「心が落ち着いています。心配はありません」と言われたとお母さんが言ってました。娘が素直に育っているのかなぁと親としては少し安心な思いです。
今日、お風呂に入っているとき(うちのこども達は私との会話はお風呂が大切な場になってます)、夏ちゃんが「男の先生と女の先生ってぜんぜん違うんだよ」と言います。1年生のときは女性の先生で、今年は男の先生なのです。
夏ちゃんが、「こないだも、放課のとき、ドッチボールやってたら、○○くんと□□くんがラインギリギリのところでなんかケンカになっちゃって、そしたら、先生が『ケンカするなら中止だ』ってやめちゃったんだよ」と状況を説明してくれました。
どうやら、話を聞いていると、1年生の時の担任の先生は、こども達がケンカをはじめると、中に入っていろいろ言い分を聞いたりしながら結論を導き出すタイプの先生だったようです。今年の先生は、ケンカなんかは「ほかっとけ」と言うタイプらしい。夏ちゃんにはそれが腑に落ちない感じなわけです。
「ケンカってね、やるのは簡単だけど、その後どうするかっていうことの方が大切なんだよ。とってもたくさんいろんなこと考えなきゃいけない。だってケンカの原因もそうだけど、○○くんのその日の気持ちとか、ドッチボールを止めなきゃいけなかったお友達の気持ちとか。話し合うのも大切だし、自分で考えることも大切だよね。だから、担任の先生によってやり方は違っても、伝えたいことは同じだと思うよ」という話を夏ちゃんにしました。
夏ちゃん曰く、「おっとーに、説明聞いたら、何か分かる気がしてきた。今度は考えてみる。」と言いながら、ひょいっと湯船から出て、バスタオル片手に出て行きました。
うーむ。小2の頃ってこんなに悩んでたかなぁと自分を振り返りつつ、女の子ってこんな感じなのかねぇと思う父でした。ゆきがお姉ちゃんとして話し合ってたらどんなだろうなぁと想像してみたり。日々、こども達は成長していきます。
投稿者 ゆきの父 : 23:02 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年07月15日
なんでもないようなこと
今年の梅雨は雨が少ないねぇなんて言ってたら台風です。この三連休はいろいろ予定が変わりました。夏ちゃんのバトンもお休み。私も芝居の稽古はお休みです。
土曜はお母さんがお兄ちゃんが入ってるバスケット部の親どうしの懇親会だったので、私が夏ちゃんをヤマハへ連れて行った。帰り、いつものようにゆきちゃんのお花をいつものお花屋さんで選ぶことに。夏ちゃんがあれこれ選ぶのだけど、色の組み合わせであーだこーだ言いながら選んでおりました。お母さんのやるのを見よう見まねでやってるのかな。結局、ちょっと落ち着いたピンクと、明るい黄色の組み合わせになりました。
その後、「パイレーツ・オブ・カリビアンが見たい」というので、レンタルビデオ屋さんで1作目と2作目を借りてきた。おやつの後、こども達と見たら結構面白かったです。新作が楽しみですな。確か、日本版でリメークするなら出たいとキムタクが言ったとか言わないとか。
実は、金曜がお兄ちゃんの誕生日だったので、お母さんが懇親会の帰りにケーキを買ってきてくれました。いつもお世話になってるご近所のケーキ屋さん。なかなか美味しいのです。育ち盛りで食い盛りのお兄ちゃんは、自分の分をぺろっと食べ、早速、ゆきちゃんとこにお供えしてる分をもらいに行ってました。夜は、大雨で客足が遠のくのを恐れたのか、牛角から「雨の日ご来店サービスで20%引き」のメールが来たので、食い盛りのお兄ちゃんに肉を食わせに出かけ、さすがに満腹になった模様。
今日、夏ちゃんとお風呂に入っていたら、後からお兄ちゃんが入ってきた。まぁ、もう中1なんだし、でかいし、狭くなるから一人で入れ、と言っては見たものの、こども達が3人そろってたら、まったく狭いよなぁと思って、何だか可笑しい。
夏ちゃんが、「ゆきちゃんがいたら、みーんなこんなして(膝を抱えるポーズ)、ぎゅって入るんだよね」と、湯船の中で喜んでます。夏ちゃんがおなかの中にいる時に、この家を設計してたのを思い出します。当時の社宅より、とにかくこども達をみんな入れられるくらいのお風呂にしたかった。幼稚園くらいのころはまだしも、今となっては手狭です。
みんな大きくなったものです。
投稿者 ゆきの父 : 22:08 | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年07月01日
共に生きる
夕食のあと、何となくNHKをつけていたら、NHKスペシャルが始まりました。前回書いたイマージュのコンサートで披露されてたテーマ曲が流れてきて、お母さんもお兄ちゃんも、「あ、この曲!」と気がつきました。アンデスの映像と合わせて流れる音楽は、哀愁のある雰囲気です。
今回はインカの人々がミイラと共に暮らしていたという内容でした。王がその死後もミイラとして存在し続けて、王宮や家臣たちがミイラを日々、世話し、生きているかのように扱う文化だったようです。権力の継続という意味では有効であったのですが、時代とともにミイラが増え続け、12代目の王がミイラ(に使える者たち)の富を没収しようとし内乱を招いたようです。
実は、その内乱に乗じてスペインからの侵略があって、あっけなくインカが滅びたというのが史実のようです。スペインから侵略されたという歴史は習いましたが、そういう背景があったことは初めて知りました。
人は必ず死ぬが、死後も生き続けるというインカの人々の考えは、とても自然な考え方だと私は思います。番組で紹介されて驚いたのですが、インカでは、ミイラとなった親族と普段、一緒に暮らしていたようなのです。着替えさせ、髪を整え、食事を用意して、まるで生きているときと同じように暮らしたようです。
お風呂から出てきた夏ちゃんが、食い入るように見てました。ちょうど、赤ちゃんや幼いこどもを亡くした家族がこどものミイラを埋葬するときに、母親の母乳や、穀類、食器など、あちらの世界でおなかがすかないようにとたくさん用意して一緒に埋葬しているシーンです。「おなかすかないように?」と夏ちゃんが聞くので、そうだね、と答えました。
独り寂しくしてないか、寒くはないか、痒かったり痛かったりしないか、おなかがすいてないか、我が子のことを思うと、いてもたってもいられないその気持ち。痛いほど分かります。だからこそ、天国は苦しみのない世界、お友達もいっぱいいると信じなければ、信じられるようにならなければ、心が安定しません。
ミイラと共に生活するというと、現代では許されないと思いますが、そこにある想いは、過去・現在・未来もなく、国や地域の差なく、同じ想いなのだと私には思えます。
投稿者 ゆきの父 : 22:26 | コメント (0) | トラックバック (0)