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2005年10月16日
ラインホルト・ニーバー
会社の幹部リレーメッセージを読んでいたら、ラインホルト・ニーバーの祈りが紹介されていました。
いろいろなところで紹介されているので、ご存知の方もいると思いますが、ラインホルト・ニーバーはアメリカの神学者で次のような祈りの言葉を残しています。
「神よ、変えられないものを受け入れる心の静けさをお与え下さい。
変えられるものを変える勇気をお与え下さい。
その両者を見分ける心をお与え下さい」
幹部メッセージは、事業改革に取り組む姿勢として、自らの内なる「壁」を反省し、自らを叱咤激励する言葉として心に刻んでいると紹介していました。社内報なので、仕事に取り組む座右の銘としての話でしたが、この祈りは、もっと広く日常にしみこむ言葉だと感じます。
神学的な言葉を借りれば、「私たちは不条理な中に生きています」と言われます。その理由は神のみぞ知るということで、「なぜ、こんなことが自分に起きるのか、その訳を知る由もない」と言われます。だからこそ、さまざま遭遇する「壁」「問題」「重荷」などを、どう受け止めていくのか、どう向き合っていくのか、その選択権は自分自身にあるのだよと言われているように感じます。
と、ここまで書いて、それって苦しいよなぁと思ってしまいました。そんなに自分は強くないよ、と思ってしまうのです。心にぽっかり穴が開いてるとき、とにかく逃げたいとき、虚無感、無力感、そんな状態のときって、心を奮い立たせるエネルギーがもうすでに枯渇してると思うのです。
むしろ、ひたすら「共感」してもらえることの方が大切で、その過程を経ると、その先に心のエネルギーを蓄えていく過程へスムーズにつながると思うのです。こういう「共感」って、傷の舐めあいだと言われることもありますが、それは経験したことがない人の理論だよなぁと思ってしまいます。
ラインホルト・ニーバーの祈りは、心を落ち着かせ前向きにさせる祈りだと思います。再び頑張ろうという気になります。でも、共感を得られないほど孤独なことはありません。そんなことを思った私は、それこそまだまだ受け止め方が狭いのかもしれません。
投稿者 ゆきの父 : 22:47 | コメント (0) | トラックバック (0)
2005年10月02日
バトン発表会
夏ちゃんの参加しているバトンチーム「team BAT!」がフェスティバルに参加しました。第25回神奈川県マーチングバンド・バトントワリングフェスティバルという大会で、横浜アリーナで開かれたものです。
午後の「高校・一般」の部門から見ました。ポンポンや新体操、バトントワリング、マーチングバンドなどいろいろなチームが練習の成果を発表していました。
私もお母さんも吹奏楽の経験があるので、夏のコンクールや県大会・全国大会への出場権を得られるかは、日々の目標と、達成した充実感として、青春の甘酸っぱい思い出になっています。大学・一般になると、本当に好きな仲間が集まって演奏を続けるタイプが多いのですが、それでも、コンクールを目指す団体と、コンサート中心の団代、地域のイベントや学校・福祉施設の訪問を中心とする団体など、さまざまです。
自分が吹奏楽をやっていたので、どうしてもマーチングバンドに目が行ってしまうんですが、正直なところ、何を見ればよいのかというところが分からなくて、ちょっと戸惑いました。確かに、動きながら陣形を変えながら演奏するのは、技術のいることだと思うのですが、統制美を見るのか、ショー性を見るのか、はたまた演奏力を見るのかが分からなくて、ちょっと困ってしまいました。
バトンの演技にしても、バトンを扱う技術、例えば、スピードとか技とか、高く上げたバトンを落とさずに取るとか、そういうことがメインなら、よっぽどジャグラーの方が楽しませてくれるし、身体の動き、ダンス力がメインであれば、バレエやモダンダンスの方が美しいなと思うし、何か中途半端で消化不良な印象を持ってしまいました。バトントワリングの世界というものをもう少し勉強しないと、理解できないのかなぁ。
2年前に「Blast!」という公演が来日して、観にいったことがあります。これは、ブラスの演奏も、ダンサーも、ガートチームも、非常に鍛えあがられたエンターテイメント性を前面に押し出してきます。それが感動を呼ぶのです。今年も再来日していますので、ご興味のある方は是非。
まぁ、いきなりこういうプロのエンターテイメントと比べるのは酷ですが、フェスティバル出場チームの演技を見ていると、明らかに目指しているものが違うことが見えてしまいます。また、その目指す方向との違いは、言い換えれば個性なわけですが、観客の拍手の大きさと比例しないところが興味深いわけです。そして、聴いてる私などには、汚い音に聞こえても、迫力があれば大きな拍手が得られます。小さなバンドは迫力はないけれど、丁寧な演奏で、私はとても好印象を持ったのですがね。
羽生善治の「決断力」という本を読みながら、プロ棋士として君臨している羽生さんであっても、「楽観しはしない。ましてや悲観もしない。ひたすら平常心で。」と書いてます。なかなか至れない心境なのですが、最近の会社の仕事で、いろいろ思うこともあり、改めて考え直しているところです。
投稿者 ゆきの父 : 23:09 | コメント (0) | トラックバック (0)