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2004年09月26日
内出血
夕飯の後、居間のソファでゴロンとしてた夏ちゃんの太ももの内側に、大きな内出血があるのを見つけてびっくり。昨日のバーベキューの時に遊びまわってて、どっかにぶつけたのかもしれません。でも太ももの内側をどうやってぶつけたんだとも疑問ではあります。
本人は痛がりもせず、触るとくすぐったがってよく見せてくれないのですが、結構大きな内出血になってて心配です。こういうときは、関係ないと分かっていても、ゆきちゃんのことが頭を過ぎります。夏ちゃんは普段も時々、鼻血を出すしとか、バーッと頭の中にいろんな可能性が駆け巡ってしまいます。
考えすぎだとは分かっていてもね。(父)
投稿者 ゆきの父 : 23:10 | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年09月25日
バーベキュー
ご近所のこどものいる家族が集まってバーベキューをやりました。今年で2回目。うちの斜向かいのパパがご近所行事の音頭をいつも取ってくれて、今回は15家族が集まってワイワイと。ママさんたちは食材の買出しやら作業分担やら準備が大変だったと思います。
家の前の道路は袋小路で往来がないので、そこにバーベキューコンロを並べて、道路一杯にビニールシートを広げ車座になって飲んだり食ったり。パパ達はコンロの前で焼き係。私は焼き鳥を担当。おかげで鶏肉はたくさん食べられたけど、牛肉にはほとんどありつけず、ちょっと悲しかったです。
でも、ヤキソバたくさん食って、ビールを一杯飲んで、パパママたちとお話して楽しく過ごせました。こども達もたくさん食べて楽しかったようです。15家族も集まると、もうこどもが何人いるのか数え切れないくらい。お天気が心配でしたが、町内会から大きなテントも借りてきてもらって、無事に終了しました。
飲みながら2軒となりのパパさんから、「ホームページ見ました。」と言われ、ちょっとビックリ。「長女さんが大変でしたね。後の二人が元気ですからね。」と言葉を選んで話しかけてくださるのが分かってありがたく感じました。すっかり酔っ払って、家へ入ってバタンキューでした。(父)
投稿者 ゆきの父 : 23:54 | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年09月19日
お祭り
近所にある熊野神社のお祭りがあり、お兄ちゃんはこども御輿を担ぎに朝から出かけました。
10時過ぎに家の近所を通りかかったので、夏ちゃんを連れて見に行きました。お御輿は、小学生と中学生と大人の3つ。その後ろに山車もあります。山車にはお囃子の太鼓や笛のおじさんたちが乗ってます。通っていくのを見た夏ちゃんが「ついてく」というので、山車を引っ張るロープの列に途中参加させてもらいました。
町内を歩いて、お昼前に神社に到着。途中休憩の時には、ちゃっかりアイスをもらった夏ちゃんでした。神社では、こども会や町内会の模擬店が出ていて、ご近所の方々が売り子をやってました。いろいろ準備から大変だったことでしょう。
夏ちゃんは、“あてくじ”をやってギザギザに切れるはさみをゲット。その後、“からあげ”と“たこやき”を食べて、“ラムネ”に挑戦。「シュワシュワだけど飲んでみる?」と聞くと、「飲んでみる」と言うので、買ってみました。「このビー球をね、ギュッて押すと開くんだよー」と言いながら押してるところを、夏ちゃんが横から覗き込んでいたので、開いた瞬間に“しゅわっ!”と泡が飛んだのが顔にかかっちゃいました。ビックリした夏ちゃんでしたが、めげずにゴクゴク飲んでおりました。1本は無理かと思ってたら全部飲んじゃいました。美味しかったようです。
熊野神社は、ゆきが退院してすぐのお正月に初詣に来たところです。年末から食欲が落ちてきていて、ずっとベビーカーに座ったままでした。この時に撮った写真が家族5人で写ってる最後の写真になるなんて、思いもしないことでした。この神社に来ると、あの時の姿を思い出してしまいます。
家に帰って、お仏壇の横の写真に目をやると、何だかゆきの顔が寂しそうに見えて、鼻がツンとなってしまいました。(父)
投稿者 ゆきの父 : 23:21 | コメント (0) | トラックバック (0)
2004年09月11日
死と儀礼
湯船に浸かる時に「ふぅ~」と言う事が多くなったゆきの父です。
このところ日記をサボっちゃってました。芝居の公演に集中してたのと、公演後もサントラの作成や反省会などでバタバタしてました。仕事の方もいろいろ後回しにしてたんで、ツケを一杯払って廻ってる感じです。オリンピックは既に終わっちゃいましたね。この土日は、久しぶりにのんびりしています。
久しぶりの日記にしては、タイトルが重めですが、今日の読売新聞夕刊の記事「宗教はいま」の見出しです。日本人の「死のありよう」を扱った、『日本人の死のかたち』(波平恵美子著)と『葬祭の日本史』(高橋繁行著)の二人の著者に取材した記事でした。
その本を読んだ訳でないので、本の内容について云々はなくて、この記事を読んで「あぁそうだなぁ」と共感することがありました。それは、「日本人はよく死をタブー視していると言われるが、実は、日本人は今も死に慣れ親しんでいる。」という部分でした。「死んだら無になるのではなく、死者も生者と同様に存在し続け、個性や人格があると信じている。あまりに一般的な考えなので、日本人はこの事実にどっぷりつかり、習慣だと感じている。」という指摘です。
「日本人は死者があたかもそこにいるかのように信じ、彼らを意識することによって自らの生き方を確認してきた。これこそが日本の宗教の核心」という波平さんの言葉に、とても共感しました。また、「生者は死んだら直ちに死者となるのではなく、儀礼を経ることによって徐々に死者となっていく。死者としてのアイデンティティが与えられる儀礼が必要。」という指摘は、今となってみれば、あぁそうなんだなぁと考えられるようになっている自分を発見しました。
また、高橋さんは、「大切なのは、日本人が育ててきた『この世とあの世は地続き』という感覚を抱かせること」として、儀礼の重みを考慮すべきだと指摘しています。宗教の持つ「形」が成仏をもたらすという考えのようです。
「成仏する」という言葉は、私は未だに違和感を持っていて、あまり好きでないのですが、この二人の著者が言わんとすることは理解できます。というか、理解できるようになってきている自分に気付いたという方が正確かな。
友紀ちゃんが亡くなった時、葬儀をどうするか悩みました。日常生活で仏教に触れているわけでもないのに、仏式で葬儀をすることにものすごく違和感がありました。葬儀屋さんが、「好きだった絵本を読んであげるような、手作り葬もよいのですよ。」とアドバイスしてくださいましたが、結局、おばあちゃんの「お経も上げないなんて」という言葉に押し切られました。
押し切られたというと聞こえが悪いですね。正直、どうすればいいか分からなかったということだと思います。でも、こういう「形」は必要だったのだ、と月日が経って感じられるようになったということでしょう。
実は、「世界の中心で、愛をさけぶ」は、何となく避けていたのですが、初めて先日のドラマ最終回のラスト30分くらいを観てみました。サクがアキを「一度もちゃんと送ってあげてない」と気持ちを吐露し、意を決して「骨を分けてください」と願い出ていました。そして、思い出の陸上のトラックを走りながら、骨を飛ばしていました。サクが言っています「アキが生きていたことを忘れないためでなく、死んだことを忘れないためだ」と。この言葉はとても重いです。そして、これがサクの儀式なのだなと思います。
アキのお父さんが、医者になったサクと再会して話します。「忘れてしまいたいとか、忘れたくないとか、そういうことでなくて、人間は忘れていくんだ。嫌でも思い出していたのに、やがて思い出すのに時間がかかるようになって、しまいには、女房にあの時はどうだったっけ?と聞くようになる。」と。当時の私なら受け入れ難い言葉だったと思いますが、今は、これが理解できる気がします。
夏川りみさんのアルバム「沖縄の風」を聞きながら、友紀ちゃんの姿を思い返しています。そういえば、今日、夏ちゃんが突然、「あかーさーん、ゆきちゃんは、どんな声だった?」とトイレから(笑)叫んでました。どうしてそういうことを聞いたのか分からないですが、夏ちゃんは夏ちゃんで、自分のなかに取り込んでいくために必要なことのひとつなのかなと思っています。(父)
投稿者 ゆきの父 : 22:55 | コメント (0) | トラックバック (0)