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2006年04月30日

インドへ行ってきました

出張でインドのチェンナイに行ってきました。私が地理を習った頃にはマドラスと呼ばれてたところです。南インドの代表的な都市で、バンガロールと並んでインドのシリコンバレーといわれるIT産業が盛んな都市です。

「河童が覗いたインド(著:妹尾 河童)」や「インドでわしも考えた(著:椎名 誠)」を読んでも、インドへ行くというのは何だかものすごく覚悟のいることに感じます。私はたぶん仕事のきっかけがなければ自ら行こうとは思わなかったというのが正直なところです。

IT系会社の給与水準は、公立病院の医者より高く、就職試験の合格率は3%くらいとか。優秀な人材が集まるわけです。欧米スタイルで残業はしないと聞いてましたが、夜10時ころまでは普通に仕事してました。使命感の強い人が多く、任せられた仕事はキッチリと仕上げる文化のよう。

現地の会社の方が土曜日に、世界遺産のマハーバリプラムと海岸寺院へ連れて行ってくれました。チェンナイからは車で2時間くらい南へ行ったところ。沢山の神様が祭られて、レリーフも独特で興味深いです。レリーフの女神はみなグラマーで美しい。街いく女性のサリーも美しい。着こなしは難しそうです。丘の途中にあって、1000年も転がらない不思議な岩(バターボール)とか、宇宙創造の神(ブラフマー)、維持運用の神(ヴィシュヌ)、破壊と再生(シヴァ)に代表される、自然崇拝と輪廻の考え方に圧倒されます。

日本人が言うところの“カレー”に似た料理は、現地では“バサラ”というようで、“カレー”ってのは煮込み料理全般を指す言葉とのこと。南インドは基本がベジタリアンなので、いろんなお野菜の煮込み料理があります。ノン・ベジタリアンのメニューを選べば、シーフード、チキン、マトンを食べられますが牛と豚はないです。また、宗教上、お酒を飲まないのでナイトスポットは恐らく皆無。何しろ連日気温40度なので、ビールをかーっとやりたいのですが、外国人向けのレストランかホテルのバーくらいでしか入手できません。

味はたいていのものは辛いです。それが旨い。中国で食べた四川料理とは違う辛さで、スパイシーさが強い。いろんな香辛料が入っているためか、じわじわと体の中心が熱くなってくる感じ。お料理はお皿か大判の葉っぱに盛られ、それを右手だけで食べます。左手を使えないので、ちぎったり巻いたりが難しい。食事後、レモンが入ったお湯が出てきて、それで右手を洗うところが多かったです。

水が硬水で日本人に馴染まないのと、滅菌されておらず危ないので、ミネラルウォーターを買って持ち歩いてました。おかげで今回の1週間の出張で下痢にならずにすみました。あと、蚊が媒介する感染症が多いので、虫除けは必須。夜寝るときは蚊取り線香が有効。日本の蚊取り線香は優秀ですなぁ。

インドへ行く前に、運命を書き記されているという、「アガスティアの葉(http://www2s.biglobe.ne.jp/~rascal/travel/agath/aga_what.htm)」を探しに行くか、すべての願い事が叶うという、「ティルパティ寺院(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/8264/T1.html)」へ詣でるというプランを立てていたのですが、アガスティアの葉は、現地会社の社長に爆笑されてしまい、どうやら如何わしい類のもののようでした。結局、ティルパティ寺院も14時間くらいかかる奥地にあるとのことで、チェンナイ市内にある分院に御参りすることに。

ティルパティ寺院の境内はヒンズー教徒でないと入れないので、異教徒用の回廊を巡って参拝させてもらいました。終わって出ようとしたときに、「日本人、間違っている」と呼び止められ、拝殿の横で、僧侶が汲んでくれる聖水(?)を飲み、額に赤い印(シンドゥールと言います)を付け、薬草のような葉っぱをかじって食べろ、とのこと。郷に入っては郷に従えで、その通りにしてきました。願いが叶うといいな。

その他、現地のマーケットやバザールを歩き回って雰囲気を味わってみました。発展途上の国という雰囲気は強く、路上生活者や、藁の家も多くあり、パクシー(喜捨)もかなりねだられます。ストリートチルドレンにねだられると胸が痛みます。交通状況は最悪に近い。上海もひどいがもっとで、私が運転したらすぐ事故になりそう。そもそも信号がほとんどない。

レストランやホテル、店舗などは、クラスがあって、身なりが違うのですぐ分かります。クラス間での交流は殆ど無い雰囲気。下のクラスの人間は、上のクラスのお店や場所には絶対入ってこない。何だかんだ言っても、カースト文化がまだかなりあることを強く感じます。

買い物やタクシーは全て交渉制。完全オープンプライス。これが難しいですよねぇ。日本人と見ると相当吹っかけてくるので大変。タクシーやリクシャーも、ボケっとしていると土産物屋に連れ込まれたり、知り合いのレストランに入れ込まれるし、金額交渉も通貨まで確認しないと、こちらがルピーのつもりでも、米ドルで請求しようとしたりします。(ちなみに、米ドルはルピーの43倍。1ルピーは2.7円くらい)

という感じで街中の人間は油断はならないのですが、総じて暴力的な雰囲気は少ないのが印象的です。また、お店の呼び込みも、物乞いもアラブ圏に比べるとわりとアッサリ開放してくれる、と同行した海外経験豊富な同僚がコメント。とはいながら、払っている絶対額は日本の数分の一の相場なのでぼったくられても、余計に1000円程度使う程度。ある意味、こういった現地の商売人との交渉をするのを楽しむ余裕が大切ですね。

にしても、成田からシンガポールが7時間、乗り継ぎ待ち4時間、シンガポールからチェンナイが4時間。遠いです。もっとディープなインドを経験しないと分からないと思いますが、今回の初インドは好印象でした。日本は同じ多神教の文化ですから、そういう馴染みやすさがあるのかなと思ってます。

投稿者 ゆきの父 : 14:19 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年04月04日

さくら

3月末でようやく仕事が一段落しました。プロジェクトチームはかなりオーバーワークでしたので、お客さんにお願いして今週はチーム全員で休暇としました。来週から次の開発に取り掛かることにして、今週はゆっくり過ごすことにします。

久しぶりにのんびりして周りを見渡すと、さくらの見ごろは過ぎてますね。一昨日の雨と風が花散らしになったようです。こども達はというと、お兄ちゃんは春講習に通ってますし、夏ちゃんはバトンの稽古やら、お稽古事の体験学習やらで忙しい様子。まとまった休みが取れても、タイミングが合わないといけませんな。

さくらが咲くと、なんとなく嬉しい気持ちになるのは、DNAに刻まれた思いなんでしょうか。そして、何故か感傷的な思いをどこかに感じるのも、日本人的な気がします。

同じ音楽を聴いても、同じ本を読んでも、同じ映画を見ても、その時その時で受け止め方が変わります。もちろん、逆にその当時のことが思い出されて懐かしい気持ちにもなります。時代は移り変わっていくというけれど、音楽や本や映画の中身は変わってなくて、実は変わったのは自分なのですよね。

さくらが咲けば、美しいと思い、散れば、寂しいと思う。そういう時もあれば、さくらが咲いたって何だってんだ、と反感を持ったり、そもそも咲いたことに気付くことすらできないくらい余裕がなかったり。目では見ていても、何の感情も湧いてこないほど心が閉じていたときもある。

そんなことにはお構いなく、さくらは毎年そこで咲いています。「きれい」と言った一言に、人それぞれの思いが積み重なっていると思わずにはいられない。まぁ、それが歳を取ったということなのかな。

明日は、夏ちゃんの入学式です。ゆきは3年生。お兄ちゃんは何と6年生。はやいものです。今年度は、三人そろって小学校です。にぎやかですな。

投稿者 ゆきの父 : 14:25 | コメント (0) | トラックバック (0)