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2005年06月26日

暑いです

暑いです。いきなり夏が来たみたい。海に遊びに行きたくなっちゃいますね。2階のパソコン机の周りがますます熱気を発してます。冷やしてやんないとそのうち止まっちゃうかも。

今週、再び実家の母が来ています。おばあちゃんが来てくれて、お兄ちゃんや夏ちゃんは、もちろん大喜び。習い事に行ってた夏ちゃんが帰ってきて、「おあばあちゃん、ただいまー!」と嬉しそうに飛び込んできます。

ゆきが退院して、手伝いに来てもらっていたお義母さんが帰っていかれて、ゆきが同じように、「おばあちゃん、ただいまー」って帰ってきたときのこと思い出します。「おばあちゃん、高知へ帰っちゃったんだよ」と言うと、ゆきがすごく寂しそうに「さみしー」って言ってたとお母さんが記録に書いています。

今日は、由佳ちゃんの命日です。あの子達の声が聞こえてきそう。こども達は、お空で水遊びかな。海へ泳ぎに行ってるかな。たまには降りてきて、夢でいいから逢いたいよ。

土曜に「記憶のチカラⅡ」をテレビでやってました。驚く話ばかりでしたが、どうしても印象に残ったのは、心臓移植のドナーさんの記憶が移植を受けた患者さんに受け継がれた事例の話です。

米国では、ドナー遺族と臓器を貰い受けた患者とが、双方納得の上なら面会できます。ドナー遺族のお母さんが、患者さんの胸に手を当てて、「ここに確かに息子が生きているわ」と感無量な表情でおられました。記憶が引き継がれるかどうかは、ひとまず置いておいても、「ここに確かに息子が生きている」という言葉の背景にある思いを考えると、涙を禁じえませんでした。

一緒に見ていた、お兄ちゃんに、「お父さんはね、ゆきちゃんの元気だった臓器をドナー提供したかったんだよ」と言いました。「骨髄や血液、肺は駄目だったけど、他の心臓や腎臓や肝臓はまったく問題なかったしね。そういう患者さんが助かるなら、是非提供したかった。でもね、日本の法律や体制で果たせなかったんだよ」とお兄ちゃんに初めて話しました。お兄ちゃんは神妙な表情で聞いてました。

我侭な願いかもしれません。でも、ゆきの体の一部でも生きていてくれたらと、思わずにはいられません。何年経っても、あの日の思いは鮮明なままです。

臓器移植法の小児への拡大が議論されています。たくさんの価値観、倫理観、社会環境への配慮、死生観の未熟さなど、さまざま議論があるでしょう。でも、目の前の娘がもう生きられないと分かったとき、せめて臓器の一部でも、骨の一部でも、皮膚の一部でも、役に立つのなら活かして欲しい。そこに娘が確かに生きていると思えるから。そんな思いを持つ親もいると感じて欲しい。

投稿者 ゆきの父 : 2005年06月26日 23:31

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