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2005年04月03日

生の感覚

1ヶ月ぶりの日記(?)です。仕事が大変なことになってしまって、いやぁもう忙しかったこと。納めたシステムがトラブったり、契約でお客さんと揉めたり、結構精神的にも追い詰められてました。2徹の週末を続けて、体力的にもくたくた。それでも何とか落ち着いたのは、チームの協力のおかげです。何だか3月はあっという間だったので、1ヶ月も過ぎてるのに気づきませんでした。

気分転換のつもりで、この日記に使っているブログのプログラムをバージョンアップしました。少しずつ作業していたので、一時見えなくなっていてすみません。後は、過去アーカイブの書式を直すのが残ってます。MovableTypeのテンプレートは結構ややこしいので、まぁ、追々直します。

とあるメルマガに「デジタル化しすぎてはいけない。手触りや重量感、匂い、味といった感覚が不足する。肉体を持つ我々は、体で覚えることがきわめて重要」という記述があって、とても共感を覚えました。

養老孟司さんの「バカの壁」にも出てきますが、いくら説明したって結局自分で経験しないとわからない、という指摘はもっともだなぁと思います。今回のプロジェクトで上海へ出張して、考え方の違いや、逆に自分が日本人なんだと改めて気づいたり、とてもいい経験になったなぁと。

「事件は現場で起きているんだ!」という一時流行ったセリフがあります。まさにその通りで、現場経験のある・なしで、その人の言動が変わります。メールで済ませる人と、まず電話する人、直接会う人では、全然違います。

ドラマで白血病や骨髄移植が出てくることがありますが、違和感を感じることが多いです。まぁ、そんなに目くじら立ててもって思うのですが、その日の自分の心が開いているか閉じているかで、受け流すこともあれば、つぼにはまってしまうこともあります。

とは言っても、常に現場主義でいるのも辛いなぁと。生々しい現実に触れていると疲れが溜まるのは否定できないし、どこか逃げ込める場所が必要だよなぁと思います。

ゆきの病気が判ってから、闘病、旅立ち、そしてその後、生の感覚を知っているからこそ避けてることはたくさんある。そのくせ、時折「生の感覚」が欲しくてたまらなくなることもあって、ぼーっと写真を眺めてます。

昔、高校生のとき占ってもらったことがあって、「あなたは、過去と未来に生きていて、現在がない人」と言われました。今更ながら、そうかもしれん、と思ってます。現在を現実的に生きていくって、難しいなぁなんて、青い鳥症候群のような気分になってます。

投稿者 ゆきの父 : 2005年04月03日 00:40

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