2003年09月11日
泣いています
泣きながら、そして書いていいかどうか迷いながら、これを書いています。
友紀がお世話になった病院には、以前、がんのこどもを守る会があったそうですが、東京に事務局が移転してから患者・家族の会がなくなってしまったそうです。それがやっと今年の春に血液科・腫瘍科の患者の親の会が発足したと伺っていました。とても嬉しく思いました。
先日、会の代表の方が友紀野のHPを訪れて下さり連絡を頂きました。闘病中のこどもさんがいらっしゃる親御さんの会として始めていて、ゆくゆくは本人の会や、きょうだいの会、こどもさんを亡くされた親の会も考えていらっしゃるとの事でした。
こうした活動ができないかと常々思っていましたし、現在闘病中のご家族との交流や、こどもさんを亡くされたご家族との交流をしたい、思いを共有できればと思いました。
嬉しいことに代表の方に、次回の集まりに来てみませんかとお誘いを受けたので、先生や発起人の方々にお会いしたいと思い参加しようと思いました。
しかし、発起人の中の方から、現在の集まりは闘病中のこどもの親の集まりで、様々な思いでいらっしゃる親御さんたちのことを考えると、告知の問題も含めて非常にデリケートな問題なので、こどもを亡くされた親御さんの参加はもう少し様子を見たいとの連絡がありました。
誰が悪いわけでもありません。真剣に考えていらっしゃるからこそのご意見です。確かにどういったスタンスで参加するのが望ましいか、お互いに考えていかないといけません。直接、集まりに参加するのが難しければ、裏方でもよいので何かお手伝いできることを模索したいと思います。
とは思いながら、おやすみを言いにお仏壇に手を合わせに行ったら、とめどなく涙が流れました。今も書きながら涙が流れています。やっぱり友紀野は死んでしまったのですよね。
闘病中のご家族、残念ながらこどもさんを亡くされたご家族、思いを分かち合うことは難しいのだなと改めて思いました。ずっと繋がっていたいというのは無理な相談かもしれません。HPを介しての繋がりが一つのあり方なのかなと思いました。
補足しますと、発起人の方々は非常に丁寧に、お互いの思いを尊重する表現で連絡を頂きました。それがなお一層、ことの重大さ、デリケートさを感じさせました。何とか模索していきたいと思います。(父)
投稿者 ゆきの父 : 2003年09月11日 00:00
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