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2002年12月22日

看護婦さんからメール

友紀野がお世話になっていた病棟にいた看護婦さんからメールを頂いた。小児がん関連のHPを見ていて友紀野のページを見つけて下さったそうだ。

ただ、申し訳ないことにお名前を見ても聞いたことがない名前だった。友紀野がいた病棟には20人くらいの看護婦さんがいたんですが、そのうちお名前が分かっていたのは15人くらいなので、残りの5人くらいの中の看護婦さんだということになる。

同じ頃に入院していたふーちゃんのママとしーちゃんのママに「どんな方でしたっけ?」という間抜けな質問をしたら、特徴をメールで教えてくれた。それを読んで、あーそーいえば、という感じでお顔が浮かんできた。お母さんとも話してたぶん間違いないということに。

こんな時、写真があればすぐ分かるんでしょうけれど、闘病中は写真を撮るのをためらっていたので記録がありません。今思えば撮っておくべきだったと後悔してます。

その看護婦さんは今はこども医療センターを辞めて、地元の九州のほうへ帰って保健師というお仕事をされているとのこと。頂いたメールによれば、「子供たちが辛い思いをしたりお空に昇ってしまったりする姿を見ていられなくなった」と書いてありました。「そんなことでは駄目なんですが」とも書いてありました。

こども医療センターは特に重篤な症状の子供たちが多く、亡くなる子供も多いようで、そこで働くスタッフの方たちも精神的なダメージが多いのだと思います。辛いのはもちろん子供たち本人ですが、家族だけでなく先生も看護婦さんもそれぞれの立場で精神的な辛さを抱えているのだと思います。

医療に携わる方たちは、患者さんに対する感情移入についてどういうふうに指導されているのか知らないのですが、友紀野がお世話になったセンターのスタッフは皆さん親身になって対応してくださいました。きっと子供たちが亡くなるのは精神的なダメージが大きいと思います。

友紀野が亡くなった後、主治医の先生は、「遺族の方たちのサポート体制まで整っていないのが歯がゆいのですが」とおっしゃってくださいました。そういう気持ちをおっしゃってくださるだけで伝わるものがあって、嬉しかったことを思い出しました。

離れてしまっても、こうしてネットを通じてまた会えたことがとても嬉しい。思わず長文のお返事メールを出しました。これからもお付き合いさせていただけたらいいなと思います。(父)

投稿者 ゆきの父 : 2002年12月22日 00:00

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