●再入院

●骨髄バンクでドナー探し

脾臓摘出後の友紀野の病状は本当に安定していました。一時退院して毎週金曜日に外来で血液検査をしていくことになりました。2月頃は病勢からして間に合わないと言われていましたが、病勢が安定したおかげで骨髄バンクでドナーを探していただく時間的な余裕ができたのが幸いでした。
骨髄バンクに登録し友紀野とHLAの一致するドナーの方を探してもらったところ、3人の候補がいるとのことでした。体重や年齢などを考慮してその中の1人の方にコーディネートを進めてもらうとT先生から説明がありました。HLAの3次検査用に採血し骨髄バンクに送りました。
そして、大変ありがたいことに3ヶ月ほどで最終同意が頂けたとの連絡を受けました。血清学的には6座一致でしたが、DNAタイピングではA座が1つ不一致という結果でしたが、この時点では最良のドナー候補とのことでした。当初、骨髄バンクでは半年ぐらいかかると言われていたので、早く同意がいただけて大変嬉しかったのを覚えています。

●家族のこと

高知のおばあちゃんが手伝いに来てくれていましたが、友紀野が一時退院し病勢が安定しているということで、お母さんが運転免許をとるまでいてもらう約束になりました。引越しをしたので蒼ちゃんは年長組みから幼稚園を変りました。そこで延長保育で夕方まで見てもらうよう頼みました。夏ちゃんも社会福祉事務所に相談したところ、姉妹の入院看護のためという理由でも保育園に入れてもらえるとのことでしたので、保育園をお願いすることにしました。ただ、近くの保育園は一杯でバスで行かなくてはならないちょっと遠いところになってしまいました。その意味でもお母さんが早く免許を取ることが必要でした。

●発熱、再入院

2000/6/26に友紀野が発熱しました。39℃台の熱で感染症のようでした。2日経っても下がらないため外来日ではなかったのですが病院へ連れて行きました。検査の結果、白血球がまた増殖しているとのことで、再入院することになりました。ロイケリンの投与と点滴による大量補液が必要でした。1西病棟でしたので、友紀野が慣れている看護婦さんがいなくてかわいそうでした。
2000/7/3に外泊許可が出ました。丁度その日、お母さんが本免許合格しました。7/5に外泊から病棟に戻るときには免許取り立てのお母さんが運転して連れて行きました。心配でしたががんばってくれました。その日は、病院の駐車場でうまく入れられなくて何度も入れなおしていたら見かねたタクシーの運転手さんが代わってくれたというエピソードもありましたが。(^_^;
1週間ほどで友紀野が慣れている2東病棟に移ることが出来ました。約2ヶ月ぶりに2東に戻ってきました。友紀野も慣れている看護婦さんたちに会えて嬉しそうでした。

●急性化

2000/7中旬頃からロイケリンによる白血球のコントロールが効きにくくなってきました。白血球の数が徐々に上がり始め、ついに10万を越え、13万にまでなりました。先生の説明では急性化してきているとのことでした。そのため、ブスルファンという抗がん剤を使うことになりました。慢性骨髄性白血病(CML)でも用いられる薬剤とのことでした。
ブスルファンに切り替えてからは少し白血球が下がりましたが、それでも9万程度ありました。病気の勢いが増しているようで、コントロールが難しくなりつつありました。
2000/7/26に再度IVHを入れる手術を行いました。IVHが入ると採血のとき針を使わなくて済みますし、針の点滴はこどもなので抜いてしまわないように腕を固定されてしまう不自由さがありましたので、精神的にもずいぶんと楽になります。
骨髄バンクで最終同意が得られて移植候補日も決まった頃の急性転化でした。本来なら病勢が安定している時に移植したほうがよいとのことでしたが、病気は待ってはくれませんでした。

友紀野のタンポポ畑
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