●一時退院

●臍帯血不一致

脾臓の摘出後、友紀野の病状はとても安定していました。骨髄検査でも血小板のもとになる巨核球が増えており自力で血小板を少しずつですが作り出していました。血小板の輸血も回数が減り小康状態になりました。
ただ、残念なことに、北海道臍帯血バンクで見つかった血清学的5/6一致ドナーが実は2座不一致であることがDNA検査の結果わかりました。白血球のHLA型は、(1)ブロードタイプ抗原、(2)スプリット抗原、(3)サブタイプの三段階で分類されるのですが、(1)は5/6一致だったのですが、(2)で4/6になっていて、2座不一致ということが分かったのです。
2座不一致でも移植に踏み切るかどうかの判断を迫られましたが、T先生の説明では移植後のリスクが大きくなるため、無理に使うことは避けたいとのことでした。もちろん、病状の進行具合との兼ね合いだったわけですが、脾臓摘出後の経過がよいので、まだ暫くは、血小板は輸血と副腎皮質ホルモン(プレドニン)でコントロールし、白血球は6−メルカプトプリン(ロイケリン)でコントロールしていきながら、またドナー探しをすることになりました。
臍帯血が見つかりこれで移植ができると期待していたので、2座不一致が分かりとても残念でした。兄妹も不一致でしたので、今度は骨髄バンクで探していただくことに望みをつなぎました。

●引越し、外泊、退院

2000/3/8(水)に新居に引っ越しました。蒼ちゃんは年中組みを最後まで通うことが出来なくなって、ちょっとかわいそうでしたが、高知のおばあちゃんに手伝いにきてもらうこともあり、社宅では寝泊りするにも手狭でしたので、少し早めに引越しを敢行しました。
友紀野は脾臓摘出後順調に回復し、2週間で外泊許可が出ました。外泊先は友紀野は初めて見る新居です。どんな反応をするかと思いましたが、意外にも「おうちー」と喜んでいました。その後3月中は採血検査と外泊の繰り返しとなりました。
4月になり、血小板の輸血も不要になり病状が小康状態であるため、IVHを抜去し、2000/4/4(火)に退院することになりました。退院前日の血液検査の結果は良好でした。赤血球(Hb)11.6、白血球(WBC)19,600(減ってきています)、血小板(Plt)217,000(すごい!作ってます)。肝臓もわずかながら縮小しているとのこと。異常な組織も無いそうで、T先生によればこのままよくなる可能性も出てきたとのことでした。本当にそうなれば嬉しいのですが。

●退院時の処方

この頃、処方されていた薬は下記のものでした。たくさんの薬がありましたが、友紀野はがんばって飲んでいました。
ファンギゾン アスペルギルスやカンジダといった真菌に対する抗真菌剤。これらの真菌は環境中にいて、通常の免疫力のある人は滅多に感染しないそうですが、免疫力が弱くなると容易に感染するそうです。感染すると治療法が難しいため、予防で対処するとのこと。
バクトラミン カリニ肺炎に対する予防薬。カリニ肺炎はカリニ原虫という病原体によって引き起こされる。カリニ原虫も環境中にいて、通常の免疫力のある人は滅多に感染しないそうですが、免疫力が弱くなると容易に感染するそうです。これも感染すると治療法が極めて困難なため予防で対処するために処方されていました。
プレドニン 副腎皮質ホルモンでいろいろな効能のある薬剤だそうです。免疫抑制剤という意味があって、脾臓摘出前は、脾機能亢進による血小板破壊を抑えるために用いていました。血小板減少は脾臓以外にも免疫機能の一部が亢進していることによる可能性があるため、体重あたり0.1mg/kgとごく少量ですが処方されていました。
ガスター 胃酸の分泌を抑える。プレドニンで食欲が出る副作用があり消化性潰瘍を防ぐもの。
バイシリンG 溶連菌や肺炎球菌の治療薬(抗生剤)であり、幼少期に脾臓摘出術を行った場合には、脾臓の持つ免疫力が失われるため、これら細菌に対する予防薬として用いていました。
ゾビラックス 抗生剤。単純ヘルペス感染症の発症を抑える。
ラキソベロン 便秘を防ぐ。
ロイケリン 代謝拮抗剤(抗がん剤)。白血球数をコントロールするために処方された。但し、病状が安定していたのでしばらく休薬することになりました。

●発熱、再入院、再退院

一時退院後、2週間目の2000/4/15(土)、友紀野が発熱しました。風邪かと思いましたが、心配なので病院へ連れて行きました。土曜日でしたが、T先生がいてくださったので診てもらえました。「感染症だと思いますが、念のため検査しましょう。」と先生の判断で血液検査をすると、なんと白血球が74,100にもなっていました。
病状が急に進行したかに思われましたので、ロイケリンを再開することになりました。ロイケリンによって腫瘍細胞がたくさん崩壊すると腎障害を起こす可能性があるので、大量補液が必要とのことで点滴となりました。そのため再入院することになりました。病棟は1西の個室で寂しそうでした。
ロイケリン投与が効き、白血球が下がってきました。4/20にはまた2東にかわれて友紀野は喜んでいました。すぐ外泊許可が出たため嬉しかったのを思い出します。その後も血液検査に病院に行って、そのまま外泊というパターンとなり、5/1に再退院することができました。退院時の血液検査では、Hb 12.6、WBC 13,800、Plt 129,00でした。

●一時退院の頃

退院してからは本当に調子がよく、「この娘が本当に病気なんだろうか?」と思えるくらいでした。その頃は写真をとる余裕もありましたので、いくつか紹介したいと思います。
新居のお庭で友紀野と蒼ちゃん、スコップ片手に庭いじり。
お母さんの化粧道具を持ってきて自慢げにポーズ。
近くの公園でタンポポの綿毛を見つけて「たんぽぽー」と見せてくれました。
タンポポを、ふ〜、しています。
友紀野はタンポポが大好きでした。
公園の滑り台でにっこり。
お兄ちゃんにパジャマを着せてもらって、とても嬉しそう。
洗濯物を干しているお母さんの横で洗濯バサミを持ってお手伝い。

●免許取得

新居からこども医療センターへ通うのには、バスと電車を乗り継いで1時間半以上かかりました。しかもバスの便があまりよくないので乗り継ぎが悪いと2時間近くかかることもありました。お母さんは免許を持っていませんでしたので、友紀野を病院へ連れて行くときはタクシーを使うことが多く、交通費が大変でした。(タクシーの運転手さんには「こちらの娘さんが病気なんですか?」と聞かれるほど友紀野は元気でした。)
お母さんは一念発起し運転免許を取ることにしました。短期間で取得するために自動車学校ではなく警察で直接受験してがんばりましたが、仮免許を落ちること6回で、なかなか大変でした。友紀野のために必死でした。結局、移植のために再入院する7月ギリギリに滑り込みで本免許合格しました。よくがんばってくれたと思います。

友紀野のタンポポ畑
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